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長崎地方裁判所 昭和50年(ヨ)16号 決定

債権者 松本洋

右訴訟代理人弁護士 小西武夫

債務者 西日本アルミニュウム工業株式会社

右代表者代表取締役 梅津久

右訴訟代理人弁護士 木村憲正

主文

1  債務者は、本案判決確定に至るまで、仮に、債権者を従業員として取扱い、昭和五〇年一月以降毎月二五日限り七万三、九二二円を支払え。

2  申請費用は、債務者の負担とする。

理由

第一当事者の申立

一  債権者は、主文同旨の裁判を、

二  債務者は、

1  本件仮処分申請を却下する。

2  申請費用は、債権者の負担とする。

との裁判を、それぞれ求め、

三  当事者双方の主張は、別紙のとおりである。

第二当裁判所の判断

一  債権者は、昭和四九年三月一六日債務会社に雇傭され、じ来、ドアーの枠組立工として勤務していたこと、債務会社は、債権者を雇い入れるに当り、債権者が、その最終学歴として、長崎大学教育学部卒業した旨を履歴書に記載していなかったことが調査の結果判明し、同五〇年一月一三日債権者に対し、右事由が債務会社の就業規則二〇条四号「雇入れの際に採用条件又は賃金の要素となるような経歴を詐称したとき」の懲戒事由に該当するものとして、解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

ところで、疎明によれば、債務会社の債権者に対する右解雇は、予告手当三〇日分を提供してなしたものであるが、これは、債務会社において、右懲戒事由にもとづき債権者を本来懲戒解雇処分にするところ、債務会社の組合の申し出もあり、予告手当を支給する取扱いの解雇としたことが認められる。したがって、債務会社の債権者に対する本件解雇は、解雇という側面から見れば、懲戒解雇処分と同様のものということができるから、以下これを前提として検討する。

二  そこで先ず、債権者が右雇い入れられる際、経歴詐称をしたか否か、につき判断する。

1  債権者が債務会社に雇い入れられる際の履歴書の記載内容及び面接での申述内容が、債務会社主張事実第1項のとおりであることは、当事者間に争いがなく、さらに疎明によれば、債権者は、昭和四三年三月福岡県立大里高等学校を卒業した後、同年四月長崎大学に入学し、同四四年ころに半年間休学していたときを除き、同四九年二月ころまで通学していたが、債権者としては、妻が妊娠していたので、就職する必要性に迫られ、同大学を卒業する意思を放棄し、卒業論文も提出せず中退するつもりで、債務会社の従業員募集に応募したこと、債権者は、右大学に入学したのち、長崎市内に居住し、通学していたが、大学の休暇及び前記休学期間中実家に戻り、父親の経営するマルマツ商事の仕事をしていたことが、認められる。

右認定事実によれば、債権者は、昭和四三年四月長崎大学に入学した以降の学歴を、債務会社に応募し、雇傭される際に秘匿していたものというべきである(大学中退したということを、履歴書に記載しなかったのは、それ自体学歴に入らないと思った旨の債権者審尋の結果は、到底信用することができない)。

2  ところで、債権者は、前認定のとおり大学を卒業する意思はなく、中退したつもりでいたので、卒業していたことは解雇されるまで知らず、また債務会社に応募する際の履歴は、昭和四九年三月一日現在であるので卒業も現にしていないから、右応募の際、大学卒業という事実を秘匿したものでない、と主張する。

疎甲第一号証(「解雇の件通知」と題する書面)によれば、なるほど、本件解雇がその記載自体からは、大学卒業したということを理由としているかのように見られなくもないが、しかしながら、その余の部分の記載からも明らかなとおり、債務会社としては、大学卒業ということに本件解雇の力点があるのではなく、最終学歴が高校卒業以下ではないということを理由とするものである、と右文書を理解するのが自然である。

したがって、債権者の右主張自体理由がない。

3  以上によれば、債権者は、債務会社に採用される際、少なくとも大学在学ないしは中退という最終学歴を秘匿して、その経歴を詐称したものということができる。

三  進んで、債権者の経歴詐称が本件懲戒解雇事由となりうるか否か、を検討する。

1  使用者の懲戒権の行使の法的根拠は、就業規則を媒介とした労使間の合意にもとづくものとしても(本件においては、債権者と債務会社との間に、就業規則について暗黙の合意があった、と疎明により認められるところである。)、懲戒権は、そもそも企業の従業員に対する、企業秩序を乱したり、企業の生産性への阻害を原因として、これを理由としてのみ課すことができるものとして許容されるものである本質に変りはない。それ故、右懲戒権の発動は、労働契約によって労働関係が成立した後の労働者に対する債務履行の容態によるものであり、右契約締結の際にかかわる問題ではないのである。

したがって、経歴詐称を理由とする懲戒権の発動も、労働契約締結時における信義則違反行為をもって、その対象となしえるのではなく、労働者が詐称行為により企業の賃金、職種、地位その他の労働条件の体系を乱し、企業の完全な運行を阻害するなど企業秩序に対し、具体的な損害ないし侵害を及ぼした場合において、初めて対象となるものであると解するのが相当であり、本件における債務者の就業規則二〇条四号及び一一号も、この限度において法的に許容されるものと解すべきである。(もっとも、労働者が、労働契約締結における経歴詐称をもって、民法上の無効、取消、損害賠償等を使用者から対抗されることがあるのは別論である。)

2  経歴詐称のうち学歴について見るに、真実は低学歴であるのに、高学歴に詐称する場合と、本件のように、高学歴を秘匿し、最終学歴を低学歴に詐称する場合とが考えられる。前者の場合は、現実に高学歴を前提として企業が雇傭すれば、通常賃金体系が学歴に応じて異なるのが一般であるから、前記懲戒権発動の対象となりやすいが、後者の場合は必ずしも当然にその対象となるものと即断することはできない。

そこで本件を見るに、前認定事実及び争いのない事実に疎明を総合すると、

(一) 債権者は、船舶用ドア製造販売を業とする債務会社の昭和四九年二月に広告した男子正社員募集に応募したものであるが、右募集内容は、職種組立工・機械工及び塗装工、年令一八才から四五才位までというもので、特に学歴に関しては、右募集内容に記載されていなかったこと、

(二) 債権者は、右応募した際、債務会社に対し、履歴としての最終学歴を高等学校卒業として、大学入学以降の学歴を秘匿し、かつ職歴として、右高校卒業後父親の経営するビニール袋製造販売を業とするマルマツ商事で営業の仕事に従事していた旨を述べたが、債務会社は、学歴について債権者に確認することなく、さらにその履歴を興信所などを通じて調査もしなかったこと、

(三) その結果、債務会社は債権者をドア枠の組立工として、同年三月一六日採用し、二ヵ月の試用期間も、特に勤務成績、行動等の面での問題もなかったところから正社員とし、その後本件解雇に至るまで、右組立工として勤務し、その間の勤務成績、仕事に対する能力等は、普通の工員と同程度で、また債権者が債務会社に対し業務遂行上の弊害を生じさせたこともなく、さらに賃金や賞与の面においても、一般の現場作業員と同様の取扱いを受けていたものであること、

(四) ところが、債務会社は、同年一二月中旬ころ、債権者が長崎大学卒業生らしいとの噂がたち、その真偽を確かめるため、初めて興信所を通じ調査したところ、翌五〇年一月七日になって、債権者が昭和四九年三月右大学を卒業していたことが判明したので、就業規則二〇条四号の事由があると判断し、組合に対する所定の手続をとったうえ、債権者を本件解雇に及んだこと

以上の事実が認められる。

右認定事実から見ると、債権者が本件経歴詐称によって、債務会社に対し、懲戒権発動の対象となる具体的な企業秩序違反の結果を生ぜしめたとまで、いまだ認めることができない。

3  ところで、債務会社の現場作業員の学歴構成は、疎明によれば、高くて高等学校卒業で、その採用も多くは昭和四〇年後半で、それ以前はほとんど小、中学校卒であることが認められるところである。このような学歴の者を採用した理由を、債務会社は、高学歴者の単純肉体労働への不適性にもとづくもので、そして、このような学歴構成の職場への高学歴者の混入は、他との間の違和感を招き、上司との均衡も欠くことによる業務遂行の円滑な徹底が計れないおそれもある、と主張し、これに沿う債務会社代表者の審尋結果によれば、債権者を解雇したのは、右のような問題が起ることを防止するためであるという。

なるほど、仮に使用者のその企業秩序維持のため、右主張のようなことを考慮すべきものとしても、そもそも使用者は労働者を雇傭するにあたって、いかなる者を雇い入れ、雇い入れた者をいかなる部署に配置し企業の秩序に組織づけるかを、自由に決定しうるのであり、したがって、労働者の選択は本来使用者の危険においてなすべき事柄である。

本件においても、前認定のとおり、債務会社は、学歴に関する採用条件を、従業員募集するにあたり明示せず(なお、債務会社から提出した疎乙一〇号証の他会社の募集広告には、学歴について明示している。)、さらに債権者を採用するに際して、独自になんらの調査もせず、債務会社自ら労働者選択の努力をしているとはいえず、さらに、一旦債務会社において債権者を組立工として採用して、二ヵ月の試用期間も無事に経過し、特に組立工として不適格性も認められず、その後も七ヵ月勤務し、特に組立工として問題もなかった状態であるのにかかわらず、債権者の最終学歴が大学であることが判明したことによって、債務会社の前記主張の理由で、応募してきた際右事実を知っていれば、債権者を採用しなかったという一事では、債権者を解雇する理由にもできないというべきである。

4  以上によれば、債権者が経歴詐称をしたという道義的非難はあるにしても、債務会社の債権者に対する本件懲戒権の発動は、その基礎が備わっていないものであるから、本件解雇は、就業規則二〇条四号、一一号の解釈を誤ったものであるというべきである。

四  したがって、本件解雇の意思表示は、その余の点を判断するまでもなく、無効であり、他に債権者と債務会社の雇傭関係を終了させる事由の認められない本件においては、右当事者間には従前の雇傭関係が存続しているというべきである。そして、債権者が債務会社より、従来毎月二五日限り平均七万三、九二二円の賃金を受けていたことは、当事者間に争いがなく、疎明によれば、債務会社が本件解雇の意思表示後、債権者の労務提供を拒み、その限りにおいて債権者の雇傭契約上の債務の履行が一時不能となり、また債務会社が昭和五〇年一月以降の賃金を支払っていないため、現在債権者が債務会社に対し、一月少なくとも右同額の割合による現在までの賃金請求権を有し、右と異る事情のない限り、今後毎月二五日には少なくとも、右同額の賃金支払請求権を取得しうることが認められる。

五  そこで保全の必要性につき検討するに、債権者が、債務会社を唯一の職場として、その得る賃金によって、妻及び子を扶養し、その生計を維持していたことが疎明により認められ、前記のとおり債権者に対する解雇の意思表示が無効であるのに、債権者が債務会社より解雇されたものとして取扱われることは、現今の社会経済事情によれば、著しい損害で容易に回復しえないものと一応いえるから、債権者について債務会社との前記法律関係につき既に提起されている本案判決の確定するまで、仮に右法律関係を設定する必要があるものといえる。

よって債権者の本件仮処分申請は、すべて理由があるから認容し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 安藤宗之)

〈以下省略〉

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